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"■1.「学校の教育現場をなんも知らんかった」■ A: 僕が始めてPTAの会長になって痛感したのは、今まで父親として、学校の教育現場をなんも知らんかったということです。 B: ワシもそう思った。卒業式..."

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■1.「学校の教育現場をなんも知らんかった」■

A: 僕が始めてPTAの会長になって痛感したのは、今まで父親として、学校の教育現場をなんも知らんかったということです。

B: ワシもそう思った。卒業式でも君が代どころか、校歌すら歌わん、などとは思いもよらんかった。以前、校歌の作曲者が来賓で来とったが、「こりゃ、どこの国の卒業式じゃ」ちゅうて怒って帰ってしまったそうじゃ。

C: うちの学校では、国際教育と言って、朝鮮の服を着せてみたり、家庭科でキムチの作り方を教えてました。東京から転勤してきて、向こうではそんな事は教えてなかったので、はじめは国際的でいいじゃないか、と思ってましたが、しばらくすると、なんで北朝鮮のことばっかり教えるのか、他の国のことはなぜ教えないのか、と思うようになりました。別にうちの地域は在日の人が多いというわけでもないのに。

B: 運動会でも、万国旗が飾られとったが、そのなかに日の丸がない。所々、豚や猫の旗があったが、わざわざ日の丸をはずして、豚や猫の絵にしとったんじゃね。それに遊技とか集団演技ばかりで競争種目がほとんどないから、父兄が見ていてもぜんぜん面白うない。徒競走だけはあったが、ゴールしても順番もつけん。なんじゃ、これは、と思うたわ。

A: クラスを参観しても、混合名簿で男子女子がごちゃまぜになっとりました。男の子もわざわざ「さん」づけで呼んどって気色悪い。先生も時々間違えて「田中君」とか呼んで、あわてて直しとりました。まあ、学校のことは先生と母親に任しておけば、ちゃんとやってくれとると思っとりましたが、自分で学校に行って見てみると、こりゃ放っとけんなと思いましたね。

■2.「子供を人質にとられとる」■

A: 私がPTAの会長になった時、ちょうど商売仲間のBさんが会長経験者だったんで、軽い気持ちでどんなもんか、聞いてみたんです。そしたらうちの地域の偏向教育がひどいちゅう事を聞いて、初めは半信半疑だったんで、まず事実を調べてみよう、っていうんで、両方の学校の卒業式の式次第やアルバムを並べて、比較をしてみた。

 そしたら、ものすごい違いがあることがわかったんです。卒業アルバムを見ても、うちはフロアでの対面形式でやっとる。こりゃぁ校長を高い位置に置かせんためのもんらしい。こういう比較情報は、僕だけでなくPTAの間でも、うちの学校はずいぶん変な事をやっとる、っていう事を認識するんに大きな効果がありました。

B: ワシの友人にもPTA会長経験者がおって、こんな事を言うとった。その会長が学校にいろいろ文句をつけた所、その子供は、教室でのプリント配布の時でも、担任から「ああ、○○君のお父さんはPTA会長さんじゃけぇ、こういうプリントは渡さんでいい」と言われて、のけ者にされたそうじゃ。子供は家で泣きながら「PTAの会長をやめて」いうて頼んだそうじゃ。

 PTAの役員になって、この学校はおかしいと気がつく人は多いけど、こうして子供を人質にとられとるけぇね、言いたいこともなかなか言えん。特にお母さん方じゃね。卒業式でのPTA会長の挨拶の時に、こうした事をあらいざらいぶちまけて、今日で会長を辞任するとやった人もいたそうじゃ。しかし、そうまでしても学校は全然変わらん。

■3.「まずは校庭の草とりから」■

A: この話を聞いて、僕も広島の男じゃけん、こういう卑怯な輩とは徹底的に戦っちゃろうじゃないか、と思いました。しかし、一人で立ち向こぉてもダメじゃ、父兄の中で仲間を作っていかんにゃぁいけん、とBさんからアドバイスをもらいました。

 そこで、私は地域のソフトボール仲間に声をかけて、PTAとは別に「オヤジの会」を作りました。オヤジの会の会員を集めようと、勧誘文を学校から配布して欲しいと頼んだら、初めは拒否されました。広教組(広島県教職員組合)の活動家の先生たちは、我々父兄が口出しするのを迷惑がっとりました。

 オヤジの会でまずやった事は、学校の草取りでした。父兄が集まって、校庭の草取りをする。これにも広教組の先生は、草取りをしたら昆虫の住む場所がなくなる、なんて、見え透いた反対をしましたがね。

 それから、学校の横を流れとる川のゴミさらいもしました。男親が集まると、電動の草刈り機を持ち込んだり、川に沈んどる自転車をクレーンで引き揚げたりと、いろいろ道具立ても揃いますけぇ、子供らも面白がって参加してきました。今では、父兄の寄付で草刈り機が4台もあります。

 また「とんど祭り」なんかも、オヤジの会が中心となって学校でやりました。1月15日の小正月に門松やら注連縄(しめなわ)やらを山のように積み上げて校庭で焼くお祭りですから、オヤジたちが何人も揃わにゃできません。
子供たちもそりゃ、面白がっておりました。

 作業が終わったら、皆でビールを飲みながら、バーベキュー・パーティーです。子供たちはジュースでね。これも初めは学校で飲み食いせんでくれ、っていう邪魔が入ったんで、駐輪場でやりました。

 こういう具体的な作業を作って、なるべく多くの父兄に参加してもらったのが良かったですね。座って学校の批判ばかりしとるよりも、わいわい言いながら一緒に作業をして、校庭や川がきれいになったのを見る方が達成感がありますけえね。オヤジの会は、別に子供がいない人でも、その地域の有志が参加できるようにしとったんで、お年寄りたちも清掃作業に喜んで参加してくれるようになりました。

■4.職員室の異様な雰囲気■

A: こうして父兄でいろいろなボランティア作業をやりながら、学校にどんどん出入りするようにしていったんです。たとえば校長に会いに行く時は、わざわざ職員室を通って、先生方に挨拶していく。

 いや、しかし、最初に職員室に入った時は、異様な雰囲気にびっくりしましたね。こんちわっ~、と大きな声で挨拶しもって職員室に入っても、誰も返事をせんのです。余計なよそ者が来た、という目つきで我々の方をにらんどる。

 ある先生の机の上には、解放同盟(部落解放同盟広島連合会)の新聞が広げてあって、どこかの校長を吊し上げた、なんていう記事が一面に出とる。そういう新聞を、我々が通ると、さっと隠したりしとりました。

 しかし、我々オヤジの会が校庭や川の掃除といったボランティア活動をして、先生方にも呼びかけとると、参加してくれる先生方も、少しずつですが出てきました。先生方の中にも、今の広島の教育はおかしい、なんとかしたい、と思うとる人も結構おるんです。

 その一人、道徳の女の先生が私に話があるとこっそり言うてきたので会うたんですが、その先生は、道徳の時間は同和教育や人権教育ばかりで、まるで道徳の教育をやらせてくれない、と私に悩みを打ち明けてきたんです。それでも私と二人で話している事がばれると吊し上げされる恐れがあるので、部屋に入るときも出るときも、誰かに見つからんようにえろう警戒しとりました。学校じゃあ自由にものを言えん事がよう分かりました。

 オヤジの会では、このように本当に生徒の事を思っている、やる気のある先生を励まして、サポートしてきました。昨年は、ついにこの先生が、道徳の公開授業をやる所までこぎ着けました。退職した前の校長先生からも、「ついにやったね」と電話がありました。

 組合活動の中核となっている問題教師は一部なんです。その一部が事ある毎に外部の勢力を引き込んで吊し上げやらするんで、校長先生も大勢の普通の先生方も口出しできないような状態になっとる。だから、我々オヤジたちが学校に乗り込んでいって、世間の常識からものを申す。そういう事で初めて、やる気のある先生方に不当な圧力をはねのけて、子供のやる気を引き出す授業をして貰えるんです。

■5.「破り年休」■

B: また以前は、組合活動の中心となっとる先生は、広教組の大会とか集会とかで月に3日も4日も出張しとって、その都度、生徒たちは自習を命ぜられとった。じゃけえ、以前は生徒たちが昼日中から、町なかをうろついとる、なんて事もようありました。活動家の先生方は、組合活動へ出るのに、年次有給休暇の届けを出しておいて、帰ってきたら破って捨てる。これを「破り年休」と言います。

 これが30年間も続けられとったんじゃが、教育委員会が約2百名の教師に総額2千万円ほどの返還請求をした。学校ぐるみの不正が行われとったわけじゃが、ワシら、オヤジの会のメンバーがしょっちゅう学校に出入りしとると、こがぁな事はあからさまにできなくなった。

 まだまだ組合の方も、いろんな活動をしとるが、以前のように不正をおおっぴらにやるという事はなくなりましたな。

■6.オヤジたちの援護射撃■

C: 私はソフトボールが好きで、Aさんのチームとはよく試合をしていました。試合後の一杯飲みで、Aさんたちがオヤジの会で活発にやっている様を聞いて、私も自分の地域のために何かしたいという気になってきました。

 Aさんたちを見習って、初めは校庭の草取りから始めましたよ。そういう作業を通じて、学校の建物とか、先生方の顔と名前を覚えると、家でも息子といろいろな話題ができたのは、嬉しかったですね。今までオヤジとして、いかに子供の教育をなおざりにしていたか、改めて感じました。
息子も口には出しませんが、自分のオヤジが学校のためにいろいろやってくれるのが、誇らしい様子でした。

 それから、ちょうどこの頃、文部省の指導で、県教育委員会から、学習指導要領に則って入学式、卒業式では国旗掲揚・国歌斉唱を実施すべきとの通達が各校長に出されました。

 この通達どおり国旗掲揚・国歌斉唱を何とか実施しようとした世羅高校の石川敏浩校長が、広教組の強硬な反対にあって、自殺に追い込まれました。この事件は国会でも問題になりましたが、やはり教育委員会からの通達があっても、校長一人では組合員たちに吊し上げられたら、どうにもできません。

 日頃から、オヤジの会がいろいろな行事を通じて、校長とよく話し合っていれば、こういう時に支えてあげることができます。私の学校では、オヤジの会が中心となって、教育委員会からの通達のコピーを父兄に配布し、有志の連名で「学習指導要領通りの卒業式、入学式をしてください」という要望書を学校に出しました。

 こういうオヤジたちの援護射撃で、校長をバックアップし、また良識ある先生方を励まして、ちゃんと国旗と国歌が卒業式、入学式でできるようになりました。

■7.広がるオヤジの会■

B: ワシらの市じゃあ、20いくつかの小学校があるが、こうしてオヤジの会が広まっていって、いまではほとんどの学校で結成された。まだない所でも、立ち上げようと準備が進められとる。お互いに横の連絡をとって、進め方のノウハウを交換しながら、やっとるけえね、連帯意識もあるけど、いい意味での競争意識もあるかねえ。

 今までは、オヤジたちは家にほとんどおらんので、学校も母親任せで、日教組がどんな勝手な事をしているのかも、知らんかった。母親が多少変だなと思うても、子供を人質にとられとるから何にも言えん。

 結局、日本の学校教育がこんなになってしまったのは、我々オヤジたちが、教育を学校や母親に押しつけて知らんぷりをしとって、その隙に日教組が勝手な事をしとったということじゃろう。やはり、オヤジたちが社会の常識を学校にも持ち込み、不正とは連帯して戦こうていかにゃならん。

 また家庭教育がなっとらんのも、オヤジたちの責任じゃ。最近、うちのオヤジの会では、暴走族の少年を更生させようと取り組んどるが、父親や地域のオヤジたちが子供たちの不良行為を初めのうちからきちんと注意しとったら、暴走族なんぞになりはせん。

 ワシらの子供の頃は、学校への行き帰りは、近所の人が農作業をしている横を通って行くんで、あちこち、お早うございます、とか、挨拶をしながら学校に行った。近所の人も、「おう、賢ぼう。今日も元気だな。」とか、声を掛けてくれる。そういう中では悪さなんか、できっこない。
地域全体で、子供を教育しとったんじゃね。

 オヤジの会ちゅうのは、日教組と戦うだけじゃのうて、家庭や地域の教育力を復活させて、本当の教育改革をしていこう、ちゅう動きなんじゃ。日本中にオヤジの会がでけた時には、日本はもっとまっとうな国になっとるじゃろう。



- JOG(327) オヤジたちの教育改革 (via twinleaves)

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