“
- 「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」 - やしお (via katoyuu)
こういう厳しすぎる社会と、だれも責任をとらない社会というのは表裏一体じゃないかと思ってる。
1アウト人生終了システムだと、ほんとはアウトの事でも「いやいやアウトじゃないし」と隠蔽したり、「みんなでやりました」とうやむやにしたり、(あいつ人生終わっちゃうのかわいそう)と仲間でかばったりして、誰も責任をとらなくなる。
一方で誰も責任をとらないと、ひとたびコトが露見して誰かが責任を取らざるを得なくなったときに、そいつに何もかもの責任を負わせることになる。実際、世間様の空気圧に対する責任を、世間様にとってもらうのは無理だしね。
こうして「厳しすぎる社会」と「だれも責任をとらない社会」がお互いを支えあってく。
そんな社会で実現される責任は、本来個人が負うべき責任の範囲に対して過剰に小さいか、過剰に大きいかの両極端に振れてしまい、適切な責任のとり方が難しくなる。なにもなかったことにするか、全部そいつのせいにするか、どっちかしかない。
”- 「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」 - やしお (via katoyuu)