バブルが弾けて、フリーターという存在がもてはやされた我らが青春、90年代のころといえば「せっかくだから、自分の好きなことで食べていこうぜ」というやっかいな風潮があった。自分もそうした考えにうかうか乗ったクチである。
しかし好きなものを職業にするというのは、「自分がもっとも好きなものを、もう純粋に楽しめなくなる」「自分がもっとも愛したものを、もっとも憎悪するようになる」という悲劇やリスクがつきまうことでもある。ピュアな心を失うというか。
好きなものを職業にできる、というのは誰もがその機会に恵まれるわけでもないので、それはそれでたいへんな幸福といえる。しかし、「もっとも好きなものは職業にしないでおく」という幸福も確実に存在する。ついこの間まで、薬屋のサラリーマンをやっていて、頭痛薬や風邪薬を作っていたのだが、べつに薬に対しては思い入れがあるわけではないので、そこで働いていても「もう薬なんか見たくもない!」という事態は最後まで訪れなかった。それと学生のとき、地元の業務用冷蔵庫の製造会社から内定をもらっていたのだが、こちらで働いたとしてもきっと「業務用冷蔵庫なんて見たくもない!」とは思わなかっただろう。
NHK教育テレビで、労働する若者をとりあげる番組があって、いかにも「それが好きだから職業にしました!」というような、情熱を燃やすあんちゃん、ねえちゃんがいっぱい登場するけれど、なんとなく見ていてハラハラする。
さして思い入れもないものを職業にして、自分が好きなものは、けっして職業にしない。そうすると、好きなものをいつまでも純粋に好きでいられるし、愛や楽しさだって持続するだろう。筆をいっそのこと折ってしまえば、また小説とはピュアな関係に戻れるのかもしれないが、もうしばらくは執筆活動を続けたいので、小説を愛しつつ、憎悪する毎日がこの先も続きそうではある。
- 職業にして失うということ - 深町秋生のベテラン日記 (via yasunao)