この章の冒頭で、こんなエピソードが紹介されています。
始業前、まだ鍵の掛かった小学校の保健室。5人ほどの”常連”の児童が、ランドセルを下ろして廊下に座り込んでいた。
「先生、おなかがすいた」
「早く開けて」
待ちかねた養護教諭の河野悦子が来ると、子どもたちが声を掛けた。
朝食を食べていない子どもたちのお目当ては、河野が「とっておきの朝食」と呼ぶ給食の残りのパンと牛乳。子どもたちみんなが、おいしそうにパンをほお張り、牛乳をゆっくり飲み干した。
大阪府内にあるこの公立小学校では、2008年から保健室で朝食を出すようになった。きっかけはある女子児童がやってきたことだった。その子は、失業していた父親が失踪し、母親と二人、月5万円の年金で暮らしていた。服は汚れたままで、給食のほかは二日間、何も食べずにおなかをすかせていた。
「驚いて、とりあえず手元にあったお菓子を渡したんですが、その時、初めて『子どもの貧困』という問題があることに気づかされました。意識して聞いてみると、ほかにも家庭の事情で朝食を食べられない子どもたちがいたんです。だんだん給食のパンと牛乳を朝食として出すようになりました」
河野は経緯をそう話す。
「どうせ、親が悪いんだろ」
僕もそう思っていました。
この本を読んでいていたたまれなくなるのは、必ずしも、親の問題だけが、「子どもの貧困」の原因ではないということです。
親も生活が苦しいなか一生懸命働いていているにもかかわらず、生活はラクにならず、子どもにもしわ寄せがいっているという家庭が少なくないのです。
子どもがいることによって、仕事がなかなか見つからない場合もあります。
とにかく、「生きていくことに精一杯で、義務教育レベルでさえ、まともに受けさせられない」。
仮に授業料が免除されても、子どもを通学させるためには、たくさんのお金がかかります。
いまの日本では、レールからちょっと外れてしまうだけで、「普通に子どもを育てること」さえ、難しくなってしまうのです。
本当に、どうすればいいんでしょうね……
”- 【読書感想】ルポ 子どもの貧困連鎖 - 琥珀色の戯言